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Channel: BuzzFeed - Tatsunori Tokushige
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1786日ぶりのウイニングボールは、母の手に。ヤクルト由規は、怪我から蘇った

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ヤクルトの由規が24日の中日戦(ナゴヤドーム)で先発。6回途中2失点の好投で、2011年9月3日の巨人戦以来、1786日ぶりの白星を挙げた。


球団マスコットのつば九郎が

みんながうれしい。ほんにんが。かぞくが。きゅうだんのみんなが。ちーむのみんなが。そして、いつまでもまってた、お~えんしてくれるみんなが

とブログで語ったように、家族、チームメイト、ファンの誰もがこの勝利を待ち望んでいた。

161キロを投げ、将来を嘱望された剛腕投手

由規は仙台育英高時代に2年夏から3季連続で甲子園に出場。3年夏には甲子園最速となる155キロを記録した。

その年の高校生ドラフトでは中田翔(現日本ハム)、唐川侑己(現千葉ロッテ)と並び「高校ビッグ3」と呼ばれ、5球団競合の末にヤクルト入り。

指名後の会見では家族への感謝を述べながら泣き、「泣き虫王子」と呼ばれた。

プロ入り3年目の2010年目には12勝と飛躍。その年8月の試合では、当時日本人最速となる161キロを投げた。

突然の怪我、長きリハビリの日々の始まり

2011年も先発の一角として期待されたが7勝にとどまり、9月9日には右肩の張りで登録抹消となる。本人も周囲もすぐに戻ってこれると思っていた。だが、長く険しい道の始まりだった。

1年半懸命にリハビリに取り組むが、実戦復帰にはたどり着かない。2013年4月11日に右肩クリーニング手術を受けることを決断する。

投手にとっては何よりも重要な部分にメスを入れる。手術が失敗する可能性もある。

様々な葛藤を抱えながら、手術を決断した思いについて由規は2013年4月6日のブログでこうつづっている。

「投げたい。その気持ちが一番でした」

遠い一軍のマウンド

手術を受ければ実戦復帰まで半年の予定だった。だがマウンドが遠い。

復活時期が見えず、前に進んでいるかも分からないリハビリの日々。確かなのは野球選手としての寿命が一日一日と確実に減っていることだけだった。

由規の兄・史規さんは2015年放送のフジテレビ「グラジオラスの轍」で、普段は弱音を吐かない由規がこの時期「『頑張ってね』との一言がプレッシャーになっていた」と弱音を吐いていたと明かしている。

家族の支え

由規が野球を始めたきっかけは史規さん。由規が左利きなのに右投げなのは、右利きだった史規さんのお下がりのグラブを使ったからだ。

史規さんは東北高、東北福祉大で捕手を務めたが、大学2年生で野球を辞め、才能のある由規と、三男で2011年にヤクルト入りした貴規のサポートに回った。

2014年1月、手術後初のブルペンで捕手を務めたのも史規さん。手が腫れるまで由規の投球を受けたこともあった。

弟・貴規は由規と一緒に1軍でプレーすることを夢みたが、2014年に戦力外通告を受ける。

野球に対する気持ちが薄れ、野球から離れようとした貴規の気持ちを思いとどめたのは、懸命にリハビリする兄からの「辞めたら一緒にやるチャンスがなくなる。辞めないでほしい」との言葉だった。

貴規は2015年からBCリーグの福島ホープスでプレー。プロ野球への復帰と、兄弟対決を夢見ている。

先輩・館山の勝利、復活を期す2016年

由規は2014年6月14日にイースタンリーグ混成チーム、フューチャーズ戦で2年2か月ぶりに実戦復帰。翌2015年2月22日のオープン戦に登板し、2回を無失点に抑え、復活を感じさせた。

2015年6月28日、2度のトミージョン手術を乗り越え、814日ぶりに1軍に先発した先輩・館山昌平の姿も由規を勇気づけた。

「由規や杉浦もまだリハビリをしている。しっかりしたリハビリをすれば必ず復帰できるということを僕が体現していきたい」(サンケイスポーツ

そんな思いを胸に投げた館山の姿に「僕も!後に続きます」とツイッターで思いを語った。

2015年は2軍で6試合に登板したが、1軍への復帰は叶わなかった。2015年11月12日には4年連続で1軍登板がなく育成契約となる。

背番号は慣れ親しんだ「11」から「121」に。ただ球団は「11」の背番号を空け、由規の復活を待った。

2016年、ヤクルトの小川淳司シニアディレクターからは「今年で判断させてもらう」と告げられた。勝負の1年。テーマは「奪回」。

背番号、そしてマウンドという自分の場所を取り戻すための戦いが始まった。

2016年、2軍では9試合に登板。首脳陣が見守る6月22日の巨人戦では、打者23人に98球、8三振を奪った。

真中満監督から「1軍で通用する球だった」と評価され、支配下登録を勝ち取る。背中には再び「11」が戻った。

1771日ぶりの神宮復帰、セカンドステージの始まり

神宮球場で5年ぶりのマウンドに上がる由規

時事通信

7月11日、由規は1771日ぶりに神宮球場のマウンドに上がった。スタンドには「おかえり由規」のボードが揺れる。

結果は6回途中6失点での敗戦だったが、ヤクルト伊藤智仁、ソフトバンク斉藤和巳も戻ってこれなかった肩の怪我からの復帰は、それ自体が奇跡だった。

当日のツイッターでは「僕を奮い立たせてくれたのは、皆さんの声援。応援です」と感謝し「つぎは必ず勝ちます!」と勝利をファンに約束した。

そして24日の復帰2戦目、前回と同じ中日相手に98球を投げ、1786日ぶりの勝利を飾った。

この日の最速は146キロ。「5年前みたいに勢いよく、力で押すようなピッチングはできません」と本人が語るように、全投球の7割以上が変化球とかつての剛腕の姿はなかった。

だが自身のセカンドステージの始まりを告げる大きな1勝だった。

ウイニングボールは両親に

かつて「泣き虫王子」と呼ばれた男は、久々のヒーローインタビューでぐっと涙をこらえ、喜びを噛み締めた。

「こうして勝つことだけをモチベーションに頑張ってきたので、とにかくうれしい」

5年間、復帰を待ち望んでいたファンへの感謝も述べ、壇上を降りると深々と頭を下げた。

試合後、ナゴヤドームの一室では両親が待っていた。

「この5年間は良い思いをさせられなかった。やっと勝ったところを生で見せられたのでほっとしています」

由規の目からは、こらえていた涙があふれた。

最後にウイニングボールを渡したのは5年前、母・美也さんの誕生日だった。そしてこの日、由規は1786日ぶりのウイニングボールを、再び母の手に渡した。


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